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日本全国連続列車爆破テロ!?横須賀線 列車爆破事件の真相 【父の日に起こった悲しい事件】 [列車爆破事件]

1968年に起こった横須賀線列車爆破事件で多くの犠牲者が出て、1人が亡くなりました。
どのようにしてこの事件が起こり、犯人の目的はなんだったのか・・・。

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※出典:http://buzznews.blog.so-net.ne.jp/archive/201405-1

今回は実際に起きた列車爆破事件の真相について紹介をしたいと思います。

と、その前に
 

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1968年 6月16日
東京〜久里浜間を走る国鉄(現JR)横須賀線の上り電車で事件が起きました。

この日は父の日の日曜日でした。
雨の休日ではあったが、それでも多くの家族連れが乗車しており、
車内は和やかな雰囲気でした。

この列車は終点の横渚駅を折り返してきた10両編成で、
6両目に乗り合わせていたのは63名の乗客でしたが、
網棚に置いてあった新聞紙に包まれた物体に気をとめる人はいませんでした。

東京駅と向かう列車が北鎌倉駅を出発し、隣駅の大船駅に到着する200m程手前で
列車内に轟音が響き、白い煙が舞い上がりました!

車両の天井に張られていた天板や合金版、窓ガラスが飛び散り、
座席が7個破壊されました。

乗り合わせていた乗客は破壊された物の破片や、爆発物の鉄片を浴び、
その場にバタバタと倒れ込んでいきました。
重傷者が7名と軽傷者が28名出て、爆発物の真下に座っていた30歳の
男性会社員は脳挫滅により死亡してしまいました。

事件翌日の新聞紙面には、悲惨な事件の様子とともに、亡くなった男性の兄による
「残された妻子をどうしてくれるんだ。犯人も人の子で血も涙もあるなら、
この妻と赤ん坊の泣き声を聞いてもらいたい」
という悲痛な叫びが掲載されていたといいます。

神奈川県警は即座に捜査を開始しました。
爆破のあった網棚の下の座席から、紙箱の破片・赤いビニールテープ・
単1の1.5V乾電池4個・20cm程のコード・タイムスイッチのゼンマイと歯車など
が発見されました。

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※出典:http://jikenshi.web.fc2.com/newpage230.htm

これらの証拠品から時限装置をつけていたことは明らかで、
爆発物はダイナマイトか、塩素酸カリと硫黄を混合した粉末系火薬と
推定されました。

事件翌日の6月17日に神奈川県警の要請により警察庁は関東管区警察局・警視庁・
兵庫・静岡・千葉・埼玉県警の捜査担当官と科学警察爆発物専門官を大船署に招集し
緊急会議を開きました。
ここで、広域捜査体制をとることが決まり、広域重要「107号事件」に指定され、
捜査員述べ25,000人を動員する全国的な捜査態勢が組まれました。

なぜこの事件にここまでの全国的な捜査を行なうことになったかというと、
当時、1962年の「草加次郎事件」以来数年に渡り、交通機関を狙った爆破事件が
全国的に起こっており、他の事件との関連性も含めて捜査をしていたからです。

現場検証から、爆弾が包まれていた新聞紙が4月17日付朝刊
「毎日新聞」多摩版であることが判明しました。
この新聞は西多摩・南多摩郡・八王子・府中・立川・町田・日野市など
十数万世帯に配達されていました。
さらに、新聞は印刷の時に輪転機のクセによる「印刷ズレ」が生じることから、
その特徴を割り出し多摩版のなかでも八王子・立川・日野方面に配達されているもの
と判明しました。

科学警察研究所の鑑定によると、爆発した火薬はニトロセルロースと
ニトログリセリンを主成分とし、日本では猟用散弾の発射薬として市販されている
ことが分かりました。つまり、猟銃の所持許可を持っている者は鉄砲火薬店で
購入できることが判明しました。

さらに、火薬を詰めていた鋳物の復元に成功し、出所が判明しました。
これはガスや水道工事などに使う特殊な「継ぎ手」で、大阪府岸和田市の
日本鋼管継手株式会社の製品だと判明しました。

6月19日 爆破装置を入れていた箱が判明しました。
現場に残っていたボール紙を繋ぎ合わせると裏面に「門前町二 みすゞ総本店」と
木版のような印刷がされていたのです。この店は名古屋市中区門前町にある
菓子製造販売「みすゞ総本店」で箱は「鯱最中(しゃちもなか)」という商品で
愛知県内のみの販売だということでした。

6月23日 起爆用に使用していた乾電池ホルダーがクラウン社製であることが判明し、
このホルダーはテープレコーダーに使用されており7,500台販売された物でした。
さらに「OKMI」という検査マークがついており、この検査マークがついているのは
500台〜1,000台しかないというのです。
さらに、この商品には「愛用者カード」が入っていて、郵送するとボールペンが贈呈
されるというもので、クラウン社には郵送した人の名前と住所が登録されていました。

捜査員総出で捜査を続け、11月にある一人の有力容疑者に辿り着きました。
その容疑者は
・1966年11月2日に猟銃所持許可を受け、水平二連散弾銃を所持
・1966年11月23日に新宿区のサトミ銃砲店でSS火薬250g購入
・1968年3月に立川市の三進小銃器営業所でSSか約250g購入
・1968年1月〜6月「毎日新聞」を定期購読
・1968年6月16日(事件当日)のアリバイが曖昧
・以前住んでいた新宿区のアパートでタイムスイッチを使用
・1968年4月に働いていた工事現場で三方継手が入手可能
・鵠沼海岸で水道管に火薬を詰め、二回爆発をさせている
・隣に済む夫婦が1967年10月24日に「鯱最中」を購入し容疑者に渡した

以上の条件から容疑者は日野市に住む大工である若松善紀と判断し、
11月9日午前7時、捜査本部は若松善紀に任意出頭を求め、
千代田区九段北にある工事現場宿舎で寝ていたところを捜査本部に連行されました。

はじめは否認していたものの、午後から自供を少しずつ始め、夕方6時に逮捕されました。 
取り調べ時に若松善紀は「草加次郎を尊敬している。草加次郎は何度も爆発物を仕掛けて
成功したが、捕まらなかった。自分は草加次郎をまねてやったが、捕まってしまった。
捕まらなかった草加次郎は私よりもえらい。しかし、草加次郎の事件がなかったら、
こんなことは考えつかなかったから、彼を憎いとも思っている」と供述しました。

犯行の動機は「結婚を約束しておきながら破局した、元恋人に対するうっ憤を晴らすため」
と語っていますが、若松善紀には実はさらに深い闇ありました・・・。

若松善紀についてはこちらをご覧ください。
横須賀線列車爆破事件の犯人 若松善紀(純多摩良樹)とは
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